伊能忠敬から学ぶ好きな事への向き合い方
どうも!
こんにちはこんばんは、タロやんです。
皆さん、伊能忠敬をご存知ですか?
そうですね、
この方ですね。
え?分からない?
ではこれならどうでしょう。
そうですね、現在の日本地図を作った方です。
しかも歩いて測量したという事なのでそれも驚きです!
実はこの伊能忠敬日本地図を測定を始めたのは50歳を超えてからだと言われています。そして、趣味の延長線上で日本地図を完成したと言われています。
そこからは現代の我々も学ぶべき事があると思いますので今回の記事でまとめることにしました。
因みにこの話を記事にしようと思ったきっかけは仕事の営業先でお客さんから教えていただいたからです。笑
日本地図を作るのは「ついで」だった?
なぜ日本地図を作ったのか?
それは地球の直径を知りたかったからです。
伊能忠敬は天文学を趣味としていました。50歳で隠居し、江戸に出て以前から興味があった測量と天文学を学びます。
学問を進めるうちに地球の直径が知りたくなったそうです。
実際に地球の正確な直径を計測するためには、江戸と蝦夷との距離が必要だったそうです。
しかし、蝦夷へ行くには当時は幕府の許可が必要でした。そこで、「蝦夷の地図作るから蝦夷に行かせてよ!」と幕府に申し出て蝦夷に行けるようになったという事です。
巧みな交渉術ですね 笑
日本全国の測量は55歳から!
この時の測量は一定の歩幅になるような歩き方を訓練し、距離を計算していくという方法でした。
まるでマーチングバンドみたいですね 笑
気が遠くなるようなやり方ですが、40キロもの距離を毎日移動していたそうです。55歳にしてはなんという脚力!!
高校の時30キロを1日で歩くという意味不明な遠足があったのですが、次の日筋肉痛で思うように歩けなかったのを覚えています 笑(今から思えば悪しき伝統だと思ってる 笑)
蝦夷地滞在は117日間にも及び、帰宅後は測量データをもとに3週間かけて地図を完成させたと言われています。
そして次は日本全国へ
完成した蝦夷の日本地図が幕府に評価され、今度は東日本の測量を命じられたそうです。
よく、キングコングの西野氏や堀江貴文氏も言っている事ですが、これからの働き方として、
世間からの「信用」を得る→仕事を与えられる
という図式に当てはめる事ができます。
つまり、蝦夷での計測を評価され、
幕府からの信用を得る→幕府から東日本の計測を依頼されるというように、
信用から仕事を得るという典型的な例ですね!
最終的には、日本全国の測量したのですが、歩いた距離は約4万キロ!
地球の直径とほぼ等しい距離を測量のために歩き続けたわけです。測量が終わった頃には、70歳を超えていたそうです。
伊能忠敬から学べること
自分が伊能忠敬から学んだことは、
- 好きな事ををするのに「遅い」なんてことはない
- 信用を得れば世間から仕事をもらう事ができる
ですね。
50歳で好きなことに夢中になる伊能忠敬を見ていると、25歳の今、好きな事をやるかどうかで迷うことが馬鹿馬鹿しくなりますね 笑
そして、これからの働き方を江戸時代に実現していた伊能忠敬。
こんな話をサラリーマンの営業先から聞くなんて、、、
複雑な気分ですね 笑
歴史も深くまで背景を知るとその人物の人間性等が見えてきますね。もう一度歴史を深く学ぶのも面白そうですね 笑
以上です。
<参考にしたHP>
日本地図を初めて作った人伊能忠敬~その人生と17年に及ぶ過酷な測量とは?
伊能忠孝と言えば日本地図。実はある目的のついでに作ったものらしい。 - NAVER まとめ